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下野薬師寺

 飛鳥時代に日本に仏教が伝来し、聖徳太子によって研究し広められた。さらに奈良時代に入ると南都六宗に分けられ国をあげて研究が深められた。しかし仏教が広まるにつれ、僧として守るべき戒律を守らなかったり、税金逃れのために出家し僧を名乗る者も現れ、日本仏教のレベル低下が起こった。そこで正式に僧と認める戒壇を授けられる僧を唐から呼び寄せることになり、鑑真が753年に苦難の末に日本にやってきた。やがて大和の東大寺、西の築紫観世音寺、そしてこの下野薬師寺の3箇所に戒壇を設け、僧としての正式の具足戒が授けられるようになった。
 もともとこの下野薬師寺は7世紀末の建立であり、現在残っている奈良の興福寺や薬師寺などと同年代の建立ということになる。8世紀中頃に大きな改修を行い大規模な伽藍が完成、761年に戒壇が設けられ、9世紀の続日本後紀には「あたかも七大寺のごとし」と表現される立派な寺院であった。(下野薬師寺歴史館資料、立川武蔵『日本仏教の思想』より)
 
 そんな立派な寺院が、7〜8世紀の関東にあったのか、ということで行ってみることにした。宇都宮線の自治医大駅で下車し、グーグルマップで経路を検索して歩く。いきなりこんな道。今日は風も強く砂埃で口の中にまで砂が入る。
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 発掘により、土台が見つかったりして、かなり広い範囲の大規模な寺院だったことがわかっている。
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 復元された回廊。
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 江戸時代の末に建てられた六角堂。他の建物の配置などから、ここに戒壇があったのではないかと言われているが、証拠は出てきていないそうだ。 
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 砂埃で前が見えなくなる。耳の中に砂が入り、体も飛ばされそうになる。
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 安国寺。室町時代に足利尊氏により安国寺と改められた。現在は真言宗智山派の寺院。
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 徒歩10分程度のところに龍興寺がある。下野薬師寺の別院として建立されたと伝えられている。現在は真言宗智山派の寺院。立派な山門がある。
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 龍興寺の内部には道鏡の墓とされる塚が残されている。
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 また、龍興寺の敷地内に鑑真和上の供養塔がある。
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 下野薬師寺跡の広い敷地に、奈良で見てきた立派な寺院の記憶を重ねて、その時代にそれと同等の立派な伽藍がここにあったんだとイメージしてみる。下野薬師寺歴史館ではタブレットを貸し出していて、そのアプリを使うと、その遺跡に立ちながらVRでCG合成された寺院を見ることもできる。そういう楽しみ方の場所。
 しかし、今日に関しては、たいへんな強風と砂埃に追い立てられて、散々な目に遭ってしまった。鑑真にあまり歓迎されていなかったかな。もう少し気候もよければ、タブレット片手に歴史のロマンを満喫することもできたかもしれない。もう一回行くか・・・。そういえば鑑真もなんども日本に来ようとしては難破して遭難するのを繰り返し、六度目にようやく日本に来た時は、その苦労で失明していたらしい。
 
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